支払い遅延、大規模な労働争議などを乗り越えた初のベネズエラ大型肥料案件 支払い遅延、大規模な労働争議などを乗り越えた初のベネズエラ大型肥料案件

PROJECT02 PMF-PROJECT
ベネズエラ国旗

クライアント:ベネズエラ石油化学公社
設備名:尿素製造設備
設備能力:アンモニア・1,800t/d、尿素・2,200t/d
建設サイト:ベネズエラ・モロン

2007年に受注したベネズエラの肥料プラント建設プロジェクト。
当社が初めて手掛けるベネズエラでの大型肥料案件は、自社技術が大いに生かされるプラント建設だった。
度重なるトラブルを無事くぐり抜けたことでベネズエラ国内におけるTOYOへの評価は高まり、すでに新たなプロジェクトが始まっている。

シンガポール国旗 シンガポール ブコム島の

突破口となった肥料プラント建設の実績とノウハウ

 本案件は、ベネズエラにおける当社初の大型肥料案件という意味で大きな意義がある。営業の松室は1995年に米州の担当となり、石油とガス資源が豊富なこの国には大きな魅力があると感じていた。しかし、当時は世界の競合他社がいくつも案件をこなしている状態で、ベネズエラ国内の肥料プラントの実績がないTOYOが食い込んでいくのはなかなか難しかった。そんな中で持ち上がったのが、チャベス大統領が直々に声をあげて行われた農業促進政策だった。
 国営の大型肥料プラントを作り、安価な肥料を提供することで国内の農業を推進しようというもの。松室はこの絶好のチャンスを逃さなかった。肥料プラントの建設はTOYOが最も得意とする分野の一つであり、他国では多くの実績があったからだ。
 「初のベネズエラ肥料案件で、しかもEPCランプサムという大変な条件ではあったが、実績を作るうえでこの案件はなんとしても落とせなかった」という松室。
 幸い、今回の案件でコンソーシアムを組んだドイツ企業とは過去に協同でプロジェクトを実施しており、同社はベネズエラで多くの案件を手掛けた実績があったのだ。
 さらに、ベネズエラ案件を受注するため、以前からローカルの工事会社を大手、中小を問わず、念入りに調査していた。そのため、プロポーザルの際に工事スキームに関する調整がうまくいき、契約を結ぶことに成功。「工事管理を共同担当したY&Vという会社は比較的小さな会社ではあったが、とても優秀で全体をとおしてとても良いパートナーシップを築きあげられた」と松室は当時を振り返る。

松室 健
営業担当

米州営業グループ
法学部 法学科卒業
1982年入社

本プロジェクトにおける担当者の役職・所属はプロジェクト実行当時のものになります。

プロジェクトごとに人間力が試され、成長していくのがPMの醍醐味

 本プロジェクトの発注者はベネズエラのペキベンという石油化学公社。ペキベンは国営企業であり、かつ今回のプロジェクトは国策の一環として行われるため、資金はペキベン社を経て国庫から支払われていた。従って、例えば干ばつなどの災害が起こった際はそちらに優先的に資金が流れるため、国の財政事情によって、本プロジェクトへの支払いが滞っていった。
 「一番酷い時で100億円近くも支払いが溜まってしまったことがある。工事は進めたいがサブコントラクターへ支払いができなくなり、やむなくプロジェクトの規模を縮小し、人も減らして細々とプロジェクトを続けるしかなかった。サブコンに対して仕事をやれというのは簡単だが、仕事をするなと言うのは精神的にもとても厳しいものがあった」と振り返るのはPMの橋本。結果としては予定より大幅に工期延長することになったが、「とにかく、スタッフのモチベーションを維持するのが大変だった。トップとしてプロジェクトをまとめるために常に笑顔を心掛け、時には食事にいったりイベントを企画したりして一体感を高めるようにしていた。どんなことがあっても表立っては絶対に苦しい顔は見せられない。それがPMの孤独なところだ」と苦笑する。
 この支払い問題は、日本大使館の協力を得てなんとか解消。メンバーに「これからはフルスイングで行こう!」とメッセージを発し、いよいよここから、という時になって次なる問題が発生した。
 ベネズエラは激しいインフレに襲われて、3年で物価が約2倍になっていた。生活が苦しくなった労働者は賃上げを要求し、ついに大規模な労働争議が起こったのだ。社会主義国であるベネズエラは労働者の権利が守られており、労働時間や待遇、労働環境の整備なども企業側に大きな責任が求められる。例に漏れず、労働環境の向上を求める白羽の矢がTOYOに立ち、労働者との間の和解策を根気強く模索するも、ベネズエラ国内の情勢が一向に回復しないことも受け協議は困難を極めた。
 「労働組合の代表者と話す際、多くの労働者に囲まれながら協議に向かったこともあった。四方八方から注目される中を歩いている間は緊張が解けなかった」という橋本。
 結局、数多くのローカル業者との労働争議を収束するまで約1年かかり、支払い遅延と合わせてトータルで23カ月のスケジュール延期を客先と合意することとなった。
 自身のキャリアの中でも最長のプロジェクトであり、トラブルの内容からいっても「実に思い出深い案件」と振り返る橋本。だが、その分得たものも大きかったようだ。
 「何があってもやっていけるなという自信がついた。どんなプロジェクトも必ず終わるんだなと。こうしてプロジェクトごとに人間力が試され、全人格的に成長していけるのがPMの醍醐味だ」と言う。

橋本 克己
プロジェクトマネージャー(PM)

プロジェクト本部
大学院理工学研究科修了 機械工学専攻
1991年入社

本プロジェクトにおける担当者の役職・所属はプロジェクト実行当時のものになります。